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『敵は本能寺にあり』戦国のカリスマ信長が示した7のリーダーの条件

人間関係

「敵は本能寺にあり」とは、本当の目的や目標は別にあることのたとえ、として使われます。これは、天下目前だった織田信長の家臣である明智光秀が信長を襲うときに言った言葉だとされています。

戦国時代最大の事件とも言われる本能寺の変ですが、これにより戦国の歴史は大きく変わることになりました。なぜ明智光秀が織田信長に反逆を起こしたのかについては、様々な説が飛び交っていて、真意は謎の中です。

もし織田信長が天下を治めていたら、現代では地味な県という印象ではありますが、安土城跡のある滋賀県が大都市として日本の中心的役割を担っていたかもしれません。

奇しくも本能寺で死んでしまった織田信長ですが、彼のリーダーとしての姿勢は現代でも高く評価されています。そこで今回は織田信長が示したリーダーとはなにかということを学びたいと思います。

 

『敵は本能寺にあり』戦国のカリスマ信長が示した7のリーダーの条件

1.自ら先頭に立つ

信長は桶狭間の戦いや天王寺砦の戦いにおいて、自ら戦場の最前線に立って戦うという、大名でありながら異例の姿を見せました。このため傷を負うこともありましたが、自ら先頭となり、判断し軍を引率することで、口先だけではなく、自ら行動し実践する人物として、部下に大きな魅力と信頼感を与えることに成功しています。

このことからも、魅力や信頼感を与えるには、まず自分が先頭に立ち、演じ、示しをつけることが大事です。

 

2.古いものにとらわれず、新しいものを取り入れる

信長が評価される中でよく取り出されるのが、その革新性です。戦場での銃の活用、兵農分離など、それまでの時代では考えもされなかった革新的な発想をものの見事に取り入れ、時代に変化を起こしました。

また、その順応性にも目を見張るものがありました。情報が目まぐるしく進む現代において、今ある情報はすぐに古いものへと変わってしまう可能性があります。古き良きものは大切にするべきですが、今ある情報や価値観が本当に今の時代に変化を起こすに足りるものなのか、分析し整理してみましょう。

 

3.果敢な決断力が下せる

信長には当時の常識にとらわれず、自ら正しいと思った事柄に対しては取り入れる、果敢な決断力がありました。当時では考えられなかった農民出の木下藤吉郎の登用など、優秀と思う人材に対しては身分など関係なく人事活用しています。

また、比叡山の焼き討ちなど、既存の価値観や偏見なく、果敢に決断し成功を収めてきました。このように全く違う価値観を受け入れ、既存の価値観を破壊するような決断力がリーダーには必要と感じます。

 

4.合理的に物事をとらえる

「泣かぬなら、殺してしまえ、ホトトギス」この句は信長という人物も比喩するうえでよく使われる言葉です。

ある意味非情だと思われる言葉ですが、信長が合理性をいかに大事にしていたかが伺える言葉でもあります。

もう一つエピソードを挙げるとすれば、比叡山の焼き討ちです。

この事件に関しては賛否両論があり、これが理由で信長が嫌いと思われる方もいるとは思います。しかしここで言えるのは、信長にとって僧侶たちは、本来やるべき宗教の仕事を怠り、経済力や軍事力を所有しながら規模を拡大する人々、すなわち、やるべきことをやらない集団として映ったとされます。だから結果として、非合理性を嫌う信長は、焼き討ちという制裁を与えたのではないでしょうか。

余談ですが、この比叡山焼き討ちの結果日本では西欧列強より350年以上先行して、政教分離がほぼ実現する形になりました。このことからも、信長がいかに革新的なことを行ったのかが感じることができます。

 

5.情報の価値を大事にする

信長は常日頃から些細な事柄でも自分に入ってくるようしていたとされます。そして家人たちには正確かつ豊富しかも迅速に情報が届けられるようにと、情報の価値を大事にするよう習慣づけ、訓練していたそうです。

それを代表するエピソードとして有名なのが桶狭間の戦いです。この戦いでは「敵は桶狭間にて休息中」という情報が梁田正綱から届けられたことで、奇襲をかけ形勢が一気に逆転し、信長は劇的な勝利を挙げることができました。

これは常日頃から情報回路を確立していた信長軍であったからこそ、スムーズに事が進行し成功できたのではないかとも言われています。

このようにいかなる情報であっても大切にし、トップの人間に伝わるよう習慣づけることは、いざという危機に迅速に対応でき、判断できると思われます。

 

6.明確で確固たる理念を公言する

織田信長は「天下布武」という理念を持っていたとされます。少し難しい言葉かもしれませんが、簡単に言えば世界征服ということです。そして「天下布武」という誅印を用いて、ビジョンを大々的に公言し、組織に対し共有していました。

現代で言うならサッカー日本代表の本田圭佑選手があげられると思います。本田選手もワールドカップ優勝という確固たる理念を掲げて、その目標に向けぶれずに精進する姿は多くの国民が期待し魅了されていると感じられます。

明確で確固たる理念を持ち、常にそのために何をするべきかを考え行動する姿を示すことで、この人なら何か起こしてくれそうだ、この人ならついていきたい、と感じる魅力のある人物へとなれるはずです。

 

7. 結果の出ない部下へは具体的に助言する

信長は能力主義かつ成果主義だったとされます。農民出の木下藤吉郎や浪人であった明智光秀の幹部登用といったように、能力があり実績を治めたものに対しては高く評価し、いくら重臣であったとしても実績が足りなければ容赦なく追放するという姿勢を築いています。

しかし、いくら実績を評価するといっても、結果を出せる人材というのは限られています。それ以外の部下に対してどうマネージメントしていたか。信長が直接筆をとり書いた文章として「佐久間信盛折檻状」というものがあります。

これは部下であった佐久間信盛に対して贈った19条の折檻状なのですが、内容としては、お前の○○が悪い、○○な行為は許せない、○○がだめだったら△△してみろ、分からなかったら聞け、というように部下の問題点を具体的に示し、解決策までも提示したものです。このように信長は結果の出ない部下に対してもフォローを怠らない人物でした。

近年の社会も徐々に能力主義の人事政策が行われつつありますが、能力以上に評価されるべき点はあると思います。そんな結果の出ない部下がいたならば、信長のように具体的に助言してみてはいかがでしょうか。

 

まとめ

『敵は本能寺にあり』戦国のカリスマ信長が示した7のリーダーの条件

1.自ら先頭に立つ

2.古いものにとらわれず、新しいものを取り入れる

3.果敢な決断力が下せる

4.合理的に物事をとらえる

5.情報の価値を大事にする

6.明確で確固たる理念を公言する

7.結果の出ない部下へは具体的に助言する

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