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逆境に打ち勝った2人のヒーロー、中村紀洋選手と前田智徳選手

芸能人

七転び八起きということわざ、皆さんはもちろんご存じですよね。七転び八起とは、「何度失敗しようとくじけないで、立ち直ること。また、人生の浮き沈みが激しいことのたとえ」です。

どんな逆境でも不屈の精神を持ちながらまた不死鳥のように復活する姿は、どの世界でも感動的です。しかし、強い心の持ち主でなければ立ち直ることは容易ではありません。

この2人の野球選手は順風満帆とはいえないほど壮絶な野球人生ですが、逆境に打ち勝つ強い心を学ぶことができます。

 

逆境に打ち勝った2人のヒーロー、中村紀洋選手と前田智徳選手

1.嫌われ者の野球小僧【中村紀洋】

本塁打王1回、打点王2回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞:4回
近鉄いてまえ打線の中心に彼はいました。金髪にネックレス、豪快なフルスイングでファンを魅了したスター選手が、2002年をきっかけに激動の人生と変貌を遂げてしまいます。

この年のシーズン終了後、「中村ノリというブランドを考えて、近鉄で終わっていいのか?」とメジャーへの挑戦を宣言しながら、事前に契約が漏れたことを理由に宣言残留してしまいます。

このことが「結局金稼ぎのパフォーマンスだったのか?」などと野球ファンからの批判の対象となってしまったのです。

しかしのちのインタビューで、

「まだ日本人で内野手の成功者はいないので挑戦したかった。しかし自分は礼儀とか道筋を大切にする人間。ルール違反する球団とは契約できなかった」

と胸の内を明かしています。

それでも高額年俸をもらいながらケガで思うように活躍できないノリを世間は猛烈に批判。結局複数年契約期間にも関わらず代理人交渉でポスティングシステムによるメジャーリーグ入りをしたことがさらにイメージを悪くしてしまいました。

メジャーでは結局ヒット5本を打ったのみでマイナー生活が続きすぐに帰国。次年には死球でおこした左手首の故障を「公傷」と主張したのに対し、球団側はそれを認められず退団が決定。

そして「金しか考えていない最低な選手」とファンのみならず各球団からもトレードを見送られるハメになってしまい、野球生活が危ぶまれました。

しかしこの人生最大の危機を1つの球団が救いました。 落合が監督を務めていた中日ドラゴンズからテスト生としてのキャンプ参加を呼び掛け入団テストを行い育成枠での中日入団が決定したのです。

入団会見ではあの金髪に髭の姿はなく、丸坊主にさっぱりとした顎。年俸は全盛期の100分の1の400万円。かつては花形の背番号だった5は育成番号の205に。

この件について中村選手は、

「落合監督は現役時代から最も尊敬している選手。声をかけてもらい今までの自分を変えようと思ったし本当に恩返ししたいと思った」

と野球を続けられる喜びを心から感じたのだといいます。実際に中日時代には3割近い打率をマークし日本一に貢献しました。

その後楽天に移籍し2年で戦力外通告をうけるものの、横浜DeNAへ入団。入団への道のりはTVでドキュメントのネタなのか、という報道もありましたが、2013年には2000本安打も達成し名実ともに記録にも記憶にも残る選手となって現在でも大活躍の働きをしています。

中村紀洋という男は一見傲慢で嫌われ者のように思われますが、実は誠実で野球に関しては「妥協を許さない人間」なのではないでしょうか。

それがゆえに自分の思ったように世間に伝わらないこともありますが、野球が「好き」だからこそ続けるために人間性を変え、どんな逆境も覆す強い心を形成するのかもしれません。

 

2.すべての野球ファンに愛される天才【前田智徳】

中村ノリのようなヒールなイメージとは正反対の野球選手、広島前田も波乱万丈の人生ですね。前田といえば言わずと知れた「天才」または「侍」といわれる名選手です。

ヤンキースのイチローが「僕なんて天才じゃない。真の天才とは前田さんのことを言うんですよ。」と最も尊敬する選手であり、3冠王中日元監督の落合氏が「天才?前田ですよ。」というほど野球選手の中でも、もっとも尊敬される打者。

しかし、実績をみるとベストナインやゴールデングラブ賞の受賞経験はあるものの、打者としての本塁打王や打点王など中村が残してきたような輝かしい記録はありません。

前田選手は、熊本工では2年春夏、3年夏に甲子園出場し、1989年ドラフト4位で広島東洋カープに入団。1991年より本格的に1軍に起用されリーグ優勝も経験しました。スター街道まっしぐらかと思われた矢先、1995年に走塁時に右アキレス腱を断裂する大怪我を負ってしまいます。

このケガが選手生命の危機に陥り、その後のシーズン以降はこの怪我がプレーに大きな影響を及ぼすようになり、故障がちになってしまいました。

その後は毎年のようにケガとの闘いをしながらも試合に出ては活躍する姿に野球ファンのみならず、選手の間からも憧れや尊敬を持たれる選手となっています。

1995年に右足のアキレス腱を完全断裂した後、打撃をはじめ走塁や守備などプレー全般に精彩を欠いたことを嘆き「この足(右足)はもう元通りにはならないだろうし、いっその事、もう片方(左足)も切れて欲しい。

そうすれば、身体のバランスが良くなるらしい。それで元に戻るんだったら」と語っているように、前田選手の発言は以前から独特といえるものでした。

たとえばホームランを打って、試合後のインタビューに「当たりそこねですよ」と答えたり、取材記者から「今までに満足のできた打球はありますか」と聞かれ、「ファールになった打球なら一回だけあります」と答えたこともありました。

「野球は好きですか」というインタビューに対して「打撃は好きだけど野球は嫌い」と答え、「ど真ん中が嫌い、次に難しい球を投げてもらうためにど真ん中を打つ」と答えるなどまさに「天才」ぶりを発揮しています。

しかし、天性の野球センスを評される一方、本当は自らの技術を高めるために努力を厭わない「練習の虫」なのだそうです。実際に前田選手は現在でもチーム随一の練習量をこなしていると監督やコーチから言われているように、「努力」においての天才なのかもしれません。

実際にどんなケガをして離脱しても1軍に復帰すればチャンスでしっかりと結果を出し、劇的な場面では必ず結果を出す前田選手は野球ファンのみならず野球選手からしても尊敬される存在なのですから。

前田智徳という男はまさに天才ですが、 野球において何事にも「ぶれない心」とあくなき「探究心」がどの逆境も超えてしまう強さを持っているのだなということを感じました。

 

2人の勇者はどんな場面においてもその逆境をはねのける強い心をもっていました。それは野球だけでなく、仕事や育児、どの人生においても参考にできるものなのだと思います。

七転び八起きと似た熟語で七転八倒という言葉があります。七転八倒は、「激しい苦痛などで、転げまわって、もがき苦しむこと」だそうです。文字は似ているけれど、そこからどう変われるか。

中村、前田のような勇者のような強い心をもつことに、「七転八倒」から、「七転び八起き」となることができるでしょう。

今回紹介させていただいた前田智徳選手は、2013年のシーズンを持って引退することが発表されています。彼の勇姿や精神は今後もプロ野球の歴史と共に語られていくでしょう。長い間、お疲れ様でした。

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